けんぶちックな地方そうせい

剣淵町内を歩く、食べる、泊まる、そして出会う…
菅井尚伸の「新鮮・町レポ」をお届けするコーナーです

#9「生きることは食べること… 農業と地産地消を学ぶ ”学校給食”」

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♪いただきます♪
19日のシチュー手元1
南瓜(カボチャ)のシチューとハンバーグとグリーンサラダにコッペパン
今日1月19日の、剣淵小学校の給食です 652kcal
中学校は同じメニューで 762kcal
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小学校158人、中学校93人、高校101人、センター6人
児童生徒、先生、職員のみなさん合わせて358人分の給食をつくっている
剣淵町学校給食センターを訪ねました。
でも調理室には、もちろん私は衛生上入ることはできません。
写真は後ほどご紹介する先生に撮っていただいたものです。

ホワイトボード給食だより1
ホワイトボードに、1月の「給食だより」が貼ってありました。
私が給食をいただいたのは40年以上前なので、多彩なメニューにまずビックリ。
月曜日は麺類、火・水・木はごはん、金曜日はパン。
私は給食でごはんを食べた記憶がありません。
(それもそのはずで、米飯給食の正式導入は昭和51年・1976年でした)
で、この給食だより、とても ”けんぶちック” なんです。
今月の剣淵産
今月の剣淵産
「稲作振興会有機栽培米研究班」のお米
このブログの#1で載せさせていただいた「福有会」さんの手作り味噌。
なんと、米と味噌は年間を通じて100%剣淵産だそうです。
さらに「命を育てる大地の会」からのさまざまな野菜
新見さん(新見ファームさん)からは黒米と米粉
↓こちらは、きのう18日の給食。新見さんの黒米ごはん、お雑煮、鱈ザンギ、酢のもの
18日黒米給食いただきます

先ほどの今日の給食、南瓜のシチューは…
19日のシチュー剣高かぼちゃ
町立剣淵高校産でした。他にも…
提供していただきました
「JA北ひびき」や「北海道酪農畜産協会」など多くの方々や団体が
農畜産物を提供しているとのことでした。

給食センターでお話をうかがったのは
授業改2
週に一度給食の時間に約5分の「食」指導
授業改
各学年年1回45分の食育授業を担当している
剣淵小学校の栄養教諭で管理栄養士の大西奈穂さんです。
「給食だより」は毎月、大西さんが作っています。
実は、1月の「給食だより」には、地産地消だけではなく、
学校給食について、とても重要なことが書かれていました。
給食週間おなかすかせる多くの人アメリカから送られ
この「給食だより」を読んで、私は思わず!持っていた情報誌を大西さんに見せました。
私が今回テーマにしたかった内容と、「給食だより」が重なっていたからです。

実は今回のブログでは
北海道発掘マガジン「JP01ジェーピ ーゼロワン」を編集・発行している
総合商研株式会社さんに、ご協力をいただけることになっていました。
特集「生きることは食べること 給食から見る北海道農業」
(上記URLでデジタルブックとして読むことができます)

表紙とりきりJP01特集目次アップ

黒板給食って何のためにできたの給食が地元を愛す心をつくる?
生きることは食べること
「学校給食」って何のためにできたの?
「学校給食」が地元を愛す心をつくる?…

・昭和30年代半ばから、脱脂粉乳から牛乳へ
・昭和63年、学校給食用米穀が北海道産米100%に
・平成17年、給食は学びへ 栄養教諭制度がスタート
・平成20年、悲願の道産小麦100%パンが実現…

北海道の農業を「学校給食」という切り口で読み解いていく。
北海道の150年は 開拓と農業 の150年とも言われます。
今年は150周年関連で、数々のイベントが行われると思いますが
奇をてらった企画よりも、このブログで何度かご紹介した、倉本聰さんの
「樹は根によって立つ されど根は人の目に触れず」
開拓と農業によって立ってきた北海道を、あらためてアピールすることが大事では、と思います。

剣淵町の「給食だより」に、見ていただきたいメッセージがありました。
30卒業献立卒業献立
1月30日「卒業献立」
6年生が家庭科の授業で考えた”地産地消” のメニューです。
卒業まではまだ日にちがありますが、行事などの関係で1月30日にしたのだとか。
”6年生の愛がつまった給食をどうぞご賞味下さい”と。
大西先生の「食育指導」に、児童が応えてくれているんですね。
オジサンやオバサンたちも、給食をいただいて大きくなったことに、あらためて”感謝”ですね。

以下は、JP01に載っていたデータです。
自給率比較
食料自給率(カロリーベース)
北海道221% 東京1% 日本38%
トランプ大統領は、食料でも ”アメリカファースト” でしょうし、
カナダやオーストラリアだって自国優先です。
40%以下というのは危機的と言われ続けて…もう何十年経っていることか。
jP01の巻頭特別インタビューで、JA北海道中央会の飛田会長が次のように仰っていました。
「生産者側から、この危機的状況をもっとアピールする必要がある、と感じている」と。

そして特集「北海道の農業」の終わりにJPゼロワンの編集長は、こう記していました。
編集長弁
25年ぶりの給食だったという編集長の小濱さん、本間さん、ご協力ありがとうございました。

今年は戌年ですが、北海道における先人たちの開拓精神について語られるときに
よく登場するのが「馬」です。倉本聰さんの本に、何度読んでも目頭が熱くなる話があるので、
今回の内容とは直接関係ありませんが、引用してご紹介させていただきます。

☆倉本聰 著  獨白2011年3月「北の国から」ノーツ 114~115ページより

北海道じゃあ昭和30年代の末ごろから、農村にトラクターが入ってきて、
馬よりこの方が効率的だってことになるンだよね。で、農家は借金してトラクター買って、
だんだん馬が要らなくなっちゃう。平山君ちもそうだったらしいンだ。だけど、家族同然の馬だから
どうしても売るに忍びなくて、時々畑で使ってたらしいンだ。でも、やっぱりトラクターの方が
便利で殆ど使われなくなったンだってさ。馬ってかいば料が結構かかるだろ。勿体ないから
結局売ろうってことになって、業者が引き取りに来る前の晩、最後の御馳走をしてやったらしいンだ。
いつもより一寸張りこんでね。
もうその頃は不要になった馬は、業者が引き取ってつぶしてドッグフードにされちゃうンだよ。
で、まァ、可哀想で御馳走したわけだ。そしたら馬が気づいちゃったンだね。
翌日業者がトラックで来たンで、馬を馬小屋から引き出したら、いやがって急に動かなくなって
首をこっちの首すじにこすりつけるンだって。見たら涙を流してるンだってさ。その馬が。
大粒の涙をね。もうみんな一緒に泣いちゃったって。
そしたら急に馬が首放してトコトコトラックの方へ向かって、
自分からフミ板ふんで乗って行ったって。一家全員オンオン泣いたって言ってたよ。
その馬が、売っ払う一寸前にさ、最後にやった仕事ってのが、—–その年大雪で、
ガレージから車が出なくなっちゃって、ふと思いついて馬を引き出して車にナワつけて
引っぱり出させたンだって。あっさり車を引き出したってさ。
それがその馬のやった最後の仕事だったンだって。(引用終わり)

せっかくなので、倉本さんの本から「馬」の話をもう一つ。
☆獨白 180ページより

杵次が馬で助けるって話。あれは前にも話したけど平山くんの話をヒントにしたンだ。
馬は人間を探し当てるし、雪でも家へちゃんと帰ってくるンだって。
昔、麓郷が小豆景気の頃、馬で町まで小豆運んで、手にした金で料理屋に入って
酔いつぶれるまで飲んじゃうンだってさ。
すると店の人が曳き車の上に、酔っぱらった野郎を放り上げて馬のケツポンて叩いてやると
勝手に麓郷の自分の家まで御主人様を連れて帰ってくれたって。25キロの真暗な道をだぜ。
(引用終わり)

北海道では、電気がないころから すでに ”自動運転” が当たり前だった、というオチにしたかったもので…

投稿日: 2018年01月19日カテゴリー: けんぶちックな地方そうせい

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